-  -pv
スレッドの閲覧状況:
現在、- がスレを見ています。
これまでに合計 - 表示されました。
※PC・スマホの表示回数をカウントしてます。
※24時間表示がないスレのPVはリセットされます。

水木しげる

1名無しさん@おーぷん:2018/06/18(月)02:52:44 ID:lfs
水木しげる

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9C%A8%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B

水木 しげる(みずき しげる、男性、1922年[注 1]3月8日 - 2015年11月30日[1])は、日本の漫画家。文化功労者、傷痍軍人。本名は武良 茂(むら しげる)。

大阪府大阪市住吉区出生、鳥取県境港市入船町出身、戦後何度かの転居の後東京都調布市に永住。
ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市で経営していたアパート「水木荘」から名付けた。。
1958年に漫画家としてデビュー。
代表作の『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表し、妖怪漫画の第一人者となる。
 
+0
-0
2名無しさん@おーぷん:2018/06/18(月)02:53:50 ID:lfs
1922年(大正11年)に大阪で生まれ、鳥取県境港市で育つ。
幼少時、まかない婦として家に出入りしていた景山ふさ(のんのんばあ)が語り聞かせた妖怪の話に強い影響を受ける。

高等小学校卒業後、画家を目指して大阪で働きながら学ぶ。
やがて徴兵年齢に達し、体躯壮健ながら近眼であった事から乙種合格となり補充兵役編入。
1943年に召集され、帝国陸軍の軍人(兵)として太平洋戦争下のニューギニア戦線・ラバウルに出征。
過酷な戦争体験を重ね、米軍の攻撃で左腕を失う。
一方で現地民のトライ族(英語版)と親しくなり、ニューブリテン島に残ることも希望したが、周囲の説得で日本へ復員した。
3名無しさん@おーぷん:2018/06/18(月)02:55:48 ID:lfs
復員後は貧窮により画家の修行を諦め、生活のために始めた紙芝居作家を経て上京。
1958年、貸本漫画『ロケットマン』で貸本漫画家としてデビュー。
1960年から断続的に『墓場鬼太郎』シリーズを発表し始める。

1961年、飯塚布枝と見合い結婚。
1963年、『悪魔くん』を貸本の東考社から出版。
1964年、『ガロ』で商業誌デビュー。

1965年に『テレビくん』が講談社児童まんが賞を受賞したほか、
貸本時代に描いていた『ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』といった作品が『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』にそれぞれ掲載され、以降、妖怪を扱った作品により人気作家となった。

1966年には『悪魔くん』がテレビドラマ化。
最大のヒット作となった『ゲゲゲの鬼太郎』は1968年より6度テレビアニメ化されている。

1993年、幼少期を過ごした境港市に町おこしとして水木しげるロードが建設され、2003年には水木しげる記念館が開館した。
4名無しさん@おーぷん:2018/06/18(月)06:25:25 ID:mcX
鬼太郎本人よりは変態的な妖怪のほうが面白い
5名無しさん@おーぷん:2018/07/15(日)01:19:56 ID:S3k
ゲゲゲの女房というのもあった
+ の新着レス

板に戻る | 履歴に戻る | 全部 最新10  | ここまで読んだ  


録音中: 0:00/0:30

水木しげる